※10年前のアプリ当時のテキストです。今後修正を加えていく可能性大アリです。
「リテラシー(literacy)」というのは、直訳では「言語をもって読み書きできる能力」のことを指すのだそうです。
最近では、メディア・リテラシー、情報リテラシー、環境リテラシーなど、それぞれを「うまく扱う能力」という意味で浸透しているようです。
今回は情報リテラシー、「情報をうまく扱う」ということについて、筆者自身のツイッターでの経験を元に、3つのトピックにまたがってお話ししてみたいと思います。
* * *
ツイッターには「拡散」と呼ばれるものがあります。
ご存知ない方のために簡単に説明すると、ツイッターはまず、「この人のつぶやきが見たい」と思った人のアカウント(登録名)を、自分専用のリストに登録します(これをフォローと呼びます)。
リストに登録した人のつぶやきは、自分専用の「板」に、自動的に時系列にリアルタイムで載せられていくようになります。
それぞれのユーザーが自分専用の「板」を持ち、自由に自分の見たい「つぶやき」を集めて、気に入った人同士がお互いにフォローし合えば、つぶやきで会話することもできます。それがまずは大枠。
自分のところへ流れてきた誰かのつぶやき(このつぶやきのことを「ツイート」と呼びます)を、自分のことを登録してくれている人にそのまま見せるように「横流し」することも可能で、これを利用して、伝えたい情報をより多くの人に意図的に広げてもらおうとすることもできます。
たとえば、自分のアカウントをフォローしてくれている数が50人のAさんと、50万人のBさんがいるとします。
Aさんのつぶやきは、普段なら50人の人にしか見てもらえません。しかしどうしてもこれはみんなに知ってほしいというつぶやきを、Bさんに頼んで「横流し」してもらえれば、Aさんのつぶやきを、Bさんのつぶやきを見ている50万人の人にも見てもらうことができます。
これを「拡散」と呼びます。
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ある時、「【拡散希望】××のペット屋が廃業して扱っていた動物を殺処分にする。引き取り手を探したい」というツイートが私のところへ流れてきました。
すぐさま「拡散」。すると、これを見た人(=私のつぶやきを見られるようフォローしてくれている人)から、『この情報、連絡先がないよ』という返信をもらいました。
よくよく確認してみると、このツイートを見て「動物を引き取りたい」と思った人が、ではどこへ連絡すればいいのか。そういった情報はどこにも書かれていません。
この情報の元を辿ってみる(たとえ「拡散」が繰り返され、それが広まる範囲が膨大なものとなっていても、その大元を辿ることは誰でもできます)と、
*ニュース番組での報道を元にしたつぶやきらしい。
*「殺処分」という部分は事実ではない。
*ペット達の引き取り手は既に決まっている。
さらに、
*最初にこのつぶやきを発した人は、自分の登録(アカウント)そのものを既に削除していた。
といったことがわかってきてしまいました。
正直なことを言うと、その時の私の気持ちは「やられた…」です。
まさか自分が誤った情報を拡げるのに加担してしまうなんて思いもしていなかった私は、すっかりしょぼくれてしまいました。
最低限把握できる、自分の拡散を受け取ってくれた人に向けてお詫びと訂正のつぶやきを流して、その後もめたりするようなこともなかったのですが、このことがあってからは、自分の元へ流れてくる情報に対して、最低限の確認を取るようになりました。
つまり、目の前にやってきた情報を信頼していいかどうかを見極めてから人に手渡すようになった、ということです。
『情報のソース(情報元)を、しっかり確認する』。
これだけなら「なんだ簡単じゃん」と思われるかもしれませんし、「情報リテラシー」というトピックもお終いにできるのですが、この話はもうすこし続きます。
なぜこの時、私はろくな確認もしないまま、受け取った情報を拡散させたのか。
それは、ここに「ペットを処分するなんて許せない」という怒りと、「早く引き取り手を探してあげなければ」という焦りという「感情」(しかも、おそらく誰からみてもわりとまともな部類の感情のはずです)が介在していたから、だと思うのです。
つまりここには、「自分が送り出す情報に『感情』を乗せやすくなった」という問題も存在しているように思うのです。
そしてそれは、ツイッターのことだけに収まる話ではないのだ、とも。
(続きます)
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