※10年前のアプリ当時のテキストです。今後修正を加えていく可能性大アリです。
「菊と刀」は、アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトによってまとめられた日本文化についての史上初めての本です。発表から60余年を経たいまも、版が重ねられています。
ただ、こうしてタイトルからお話しするより、日本の文化を「恥の文化」、西洋の文化を「罪の文化」と捉えて紹介した本だとお話ししたほうが、ピンと来る人は多いようです。
大戦中だったこともあって、ベネディクトが日本の地を踏むことは生涯ありませんでした。
大戦後の日本の占領政策のための資料として、アメリカ政府から研究を委託された彼女がその拠り所としたのは、膨大な紙の資料と、アメリカへ移住を果たした日系2世への取材だったといいます。
(こうした成立の経緯からこの本に否定的な立場を取る人も多いようですが、ここではそのお話は伏せます)
彼女はその中で、日本人の文化的な要素を「忠」や「孝」や「義理」、「恩」といった『債務を表す言葉たち』(情の貸し借りというような意味合いで捉えてみるとよいようです)に見てとり、その根底には、外部から与えられた期待に背かないことで、自らと家の名誉を守り恥をかかないようにする精神が流れている、と考えたようです。
こうした考察について、違和感を感じる人はあまりいないようです。
それどころか「だから日本人てことなかれ主義に走るんだよな」と、むしろ積極的に彼女の考えを支持してしまったりする人の方が多いのではないでしょうか。
それは、逆に言えば彼女の考察が、私たちが持ち合わせてきた「古来からの日本人像」からそう離れていない「だろう」ということを暗に示すものです。
けれども、まず、社会学の観点から見た時、近代以前の日本の共同体の最小単位は『イエ(=家族)』であると同時に『ムラ』にありました。
ここでいう『ムラ』とは、いわゆる行政単位としての村ではなく、生活の単位としての小規模な共同体のことを指します。
古代から稲作を営み、水利や労働力において相互の助けを必要とした日本のイエと個人は、社会学者の作田啓一の言葉に力を借りれば、それゆえその独立性・自立性を弱く保ち続けました。
(社会学の領域ではこれを『村落共同体のアジア的形態』と呼んでいるようです)
これはつまるところ、当時のいわゆる「プライバシー」というものが、いま私たちが想像し得るものよりも遥かに弱いレベルにあったことを意味します。
本来なら身内にも晒したくないようなプライベートなことが、身内どころか隣近所数軒まで筒抜けである、と想像してみるとわかりやすいでしょうか。
(しゃれにならんですね)
さて、そこで考えてみたいのですが、そうした状況で、個人や家の「恥」を守り通すことが、果たして可能だったのか。
私は到底無理だったんじゃないかなと考えますし、この感覚は、おそらく多くの人に共有してもらえるものだろうと思うのです。
つまり、最初にお話ししたような「恥をかかないよう自分や家を守る日本人像」というような、ベネディクトやそれを追認する私たちが想像するのとは、全く逆の環境が立ち現れることになります。
では、そうした私たちが想像しうる以上にプライバシーが守られることのない世界で育まれた「文化」とは、一体なんだったのか。
私はそれは、自分や自分の家ではなく、目の前にいる相手が恥ずかしい思いをすることのないよう、”思いやり””察して”行動する様式の文化、だったのではないかと思うのです。
相手を察し、思いやり、そしてまた自分もまた察し思われて、という相互の関係の中で、より高次の連帯を編んでいくのが、日本の文化の根底なのではないか。
そう考えるのです。
さて、トピックの趣旨に沿う上ではここからが大事なのですが、この『相手を察し思いやる文化』は、その性質ゆえ、決して言語化されることがありません(口に出してしまったら、”察し”でも”思いやり”でもないからです)。
逆に言えば、それが『近代以前の日本にコミュニケーション的なものが言語されてこなかった理由』になるのではないか、と考えるのです。
(続きます)
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