※10年前のアプリ当時のテキストです。今後修正を加えていく可能性が大アリです。
「コミュニケーションを一度解(ほど)いて、また結ぶ」。
そんなわけのわからんことを考えるようになったそもそものきっかけは、アンケートの結果が暗に示す「コミュニケーションと呼ばれるものの解釈の多様さ」に、日頃から違和感を抱いていたことにありました。
コミュニケーションの解釈──それがそのまま、その人のコミュニケーションのゴールになるはずです──は、人によって様々。
では、どうしてそんなにもその解釈は多様なのだろう、その差はどこからくるのだろう。
そんなあたりからこのテーマについて考え始めたのですが、この問いはその答えよりも先に、さらに二つの疑問を連れてきてしまいます。
ひとつは『そもそもコミュニケーションの適切な和訳ってなんだろう』という疑問。
もうひとつはそれに続く形での『いやいやそんな風に考えること自体おかしくないか』という疑問です。
コミュニケーションという言葉は、見ての通り「外来語」です。
外来語とは「外からやってきた新しいものに対して、その国の言葉をそのまま取り入れ、日本語として使うようになった言葉」と考えて差し支えないでしょう。
ではコミュニケーションは「外からやってきた新しいもの」だったのでしょうか。
日本にはそれまで”コミュニケーション的”なものがなかったから、コミュニケーションという言葉が取り入れられて、そのまま根付いた?
とてもおかしな感じがしませんか。
ちょっと角度を変えて、では、コミュニケーションという言葉が浸透する以前の「この国のコミュニケーション的なもの」とは、なんだったのか。
私はまず、「コミュニケーションという言葉がいつ頃日本へ入ってきたのか」について調べてみることにしました。
国会図書館のデータベースで、『書名や章のタイトルに「コミュニケーション」の語を含んだ和書』の点数を調べてみると、1950年まで0件、1960年まで75件、1970年まで104件、1980年まで214件、1990年まで522件、2000年まで1180件、2001年以降が2843件と出てきます(2011年7月現在)。
1960年代には「マス・コミュニケーション」、つまりメディアの問題として、社会学や心理学、経営学などの専門家による著作が目立ち、80年代になると「家庭内コミュニケーション」「異文化コミュニケーション」などが顕著(けんちょ)になっていきます。
図書件数そのものが高度成長期の中で膨らんでいったことを考慮に入れても、コミュニケーションへの関心が1960年代ごろから急速に高まっていったことが窺(うかが)えます。
著者や著作の傾向から、60年代に学術用語として注目されるようになり、80年代ごろから一般的にも浸透するようになったと考えていいでしょう。
さて、以上を踏まえた上で、「コミュニケーションを解く」ために重要なのは、「なぜ80年代ごろからコミュニケーションという言葉が一般にも浸透していくようになったのか」です。
私は、一つの仮説を立ててみることにしました。
それまでにも日本に「コミュニケーション的なもの」はあった。けれどもそれは”なぜか”言語化されることのないままやってきて、1980年代になり、コミュニケーションという言葉を登場させなければならない”なんらかの理由”がでてくるようになった。
一応文章にはなっていますが、それにしてもずいぶんもやっとしています。
ただ、この文章の意味がちゃんと通るように考えを進めてみれば、「コミュニケーションを結び直す」ことにも繋がっていくような気がします。
ここからは、そのもやっとした部分について考え、その上で、ではそうして完成した文章が、私たちが今抱えているコミュニケーションの問題とどう繋がっていくのか。
そんな風に考えていってみたいと思います。
ひとつ目の「もやっと」した部分、『近代以前の日本に「コミュニケーション的なもの」が言語されてこなかった理由』については、一冊の本を切り口に考えます。
(続きます)
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